令和8年熊本地震災害ボランティア備忘録①
令和8年(2026年)7月28日16時27分 地震発生 M7
普段見ないTVを家に置く理由は、災害時の情報収集のためだった。
だがSNSが強かった。今回特にThreadsに助けられた。
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職場に有給を取ることを伝えた。
快く許してもらえたが、8月は1年で最も忙しい過酷な月だった。
私のような者でも1馬力減ると仕事に支障が出るのはわかっていた。
申し訳なかったが、その時の自分にとって職場より災害支援の方が優先順位が高かった。
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熊本は縁もゆかりもなく地理がわからない。情報収集を続ける。
まずは道路というインフラの復旧待ちだった。
お盆休みまでに復旧するか?いやお盆は被災関係なく道路が混むだろう。
お盆をはずして第4週の週末に行くことに決めた。
災害時はボランティア車両に高速道路無料措置が適用される。
真備の時、申請書をもらいに何度区役所に通ったかわからない。
今はネットでダウンロードできて便利だ。
申請書には活動した証の社協の印が必要だ。
稼働している全11社協
(甲佐町・御船町・嘉島町・益城町・宇土市・宇城市・美里町・熊本市・八代市・氷川町・芦北町)のボラ募集をチェックするが、
県内または九州住み限定だったり、募集期間が約1週間ごとに区切られていて先がわからない。
私は8/22~23活動予定だったので当日の募集を待ったが
すぐに埋まってしまった。しかも30人くらいで締め切られた。
30人じゃ圧倒的に足りないのに。
あとで知った。社協が機能しておらずボランティア希望者が民間団体に流れているとのことだった。でもおかしくないか?熊本は10年前に大規模地震に遭った。令和2年に水害にも遭った。社協の仕事はグレードアップしていなければいけないはずだ。どういうこと?
犯罪者を入れない目的か。よそ者を入れたくない文化があるのか。わからない。
ボラを全員受け入れないのはコロナ以降の傾向でもある。
社協の印がもらえない=高速代は自腹になってしまう。経費は抑えたい。
災害ボランティアは宿泊・移動・食事全てが自分持ち。
(物流が届いていたり生活が機能している地域では逆にモノを買ってお金を落とす)
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Threadsで芦北町の元町議会議員の方と繋がることができた。
芦北町に行こうと思った。
芦北町の人からは支援が届かない、報道されないと悲鳴があがっていたからだ。
ホテルの予約を二転三転していることを投稿すると
Threadsで「そのホテルは遠いから〇〇がいいよ」と教えてくれたり
活動場所からホテルの道が渋滞するかもと教えてくれたり
被災した旅館の方が「うちでよければ」と招いてくれたり
お礼を言ってもらったり、本当に心強かった。
宿を変更しているうちに芦北町の社協がボラ募集を終了してしまった。どうするか。
いろいろあって
行政と繋がっている八代の民間団体でボランティアをすることになった。
※芦北に行けると勘違いしていたのと、仕組みをよく把握していなくてこうなった
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道路の復活、渋滞の緩和、お盆、社協、高速無料措置など全部のバランスを取るのが難しかった。迷って宿を熊本市→天草→水俣→熊本市と変更した。キャンセル料も発生した。いたしかたない。
Googleでは片道6時間半と出たが実際は8時間半かかった。
行きと帰りに1日かけて余裕を持った。
被災が落ち着いても使える支援物資(キャットフード、ドッグフード、生理用ナプキン、マスク、スポーツドリンクなど)と、現場で使うかもしれないバールやスコップや掃除道具を自家用車に積んで、
8/21(金)朝8時に出発。16時30分に熊本市内のホテルに到着。
熊本市内の繁華街は通常通りのようだった。
食べて支援。ホテル近くの居酒屋で熊本名物を食べて、熊本の日本酒を飲んで、SNSにアップ。
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8/22(土)ボランティア1日目 最高気温37度予報
八代市の集合場所に向かう。
復旧されたばかりの高速ではなく下道を通る。この目で実際の状況を見たかったから。
国道3号線。宇城市に入る頃にはブルーシートが目につきはじめる。道路はつぎはぎで修理した箇所は段差があり、徐行の看板が連なる。そんな道路や橋がいくつもあった。
氷川町。のどかで美しい田園風景が広がる田舎町だ。
熊本は鹿児島方面に向かって左は阿蘇の山々、右は天草の海で、特に田舎町は景色が素晴らしい。空が広く、緑が濃く、田んぼや木々の緑が鮮やかだ。
そんな美しい風景に似合わないブルーシート、1階が崩れた家、閉店したファミレス。飲食店が集まった合同駐車場は災害支援車の拠点や簡易トイレや給水所になっていた。飲食店は「閉店していますがトイレはご自由にどうぞ」の張り紙がしてあり、住人らしき人が入って行った。道路はやや渋滞していた。町は機能していなかった。
日本製紙八代工場のそばを通った。
倒れていない塔が見えた。
八代市の民間ボランティア団体Kの拠点に集合。
午前中は集合住宅の高層階のお宅の部屋の片付けだ。
家中の総ての物が全部落ちていた。ガラスの破片が飛び散っている。申し訳ないが土足で入る。片付け開始。作業中に「水が出た!」と歓喜の声。水が出る出ない、電気がつくつかないは地域によって異なり、電気がつく家にみんな身を寄せて過ごしていたそうだ。熊本は6年前の水害、10年前の地震があり、こちらのお宅はそのたびに被災していたが、今回の地震で1人を除く家族全員の車が落下した建造物によって潰れた。
男手の活躍もありあっという間に使えなくなった家財を運び出した。
床が見えるようになったリビングで円になってお昼をとった。
被災者、ボランティア達、みんなで話をした。
西日本豪雨のボラからずっと感じていたが、被災者は自分がどんな目に遭ったか話をしたい、吐き出したいという思いがある。また、誰かと会話したり笑ったりしたいと思っている。話したくない人はそっとしておくが、積極的にコミュニケーションを取ろうとされる被災者とは私たちもたくさん話す。
私は、災害と関係ない話(方言の話とか)をするようにした。
気を遣ったというより、県外の人間が感じた熊本の楽しい話がしたかった。
実際、こっちに来て耳にした熊本弁や久留米弁のイントネーションはコロコロと心地よかった。
それを伝えたかった。
午後は団体Kが主催する子どもたちのための夏祭りの準備に向かう。
八代城址すぐ近くの公園で設営作業。お面を作る。水風船をふくらます。
帰りは空いてそうな338号線を走った。八代不知火線。
天草の方向のほぼ地平線くらいの高さに日が沈んでいった。
心を揺さぶられるほど美しいサンセットだった。
ここで生まれ育ったら、若い頃の私は東京に行こうなんて思わなかったかもしれない。
ここでずっと生まれ育って、家族を持って生活したいと何の疑問も抱かず自然に思えたかもしれない。
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8/23(日)ボランティア2日目 最高気温38度予報
祭りの準備。
場所は八代城址横の中央コミュニティ広場。
早めに着いた。町は被災しゴーストタウン化していた。
私はガチャガチャブースの担当になった。
子どもたちの夏休みを被災の悲しい思い出で終わらせたくないと
祭りが企画されたのが10日前で、何人来るか予想がつかないとのことだった。
午後4時開場。親子連れの長蛇の列。
https://www.youtube.com/watch?v=4u-nJNvvvlc
ふたを開ければ2200人の来場。
ガチャガチャは大人気で息つくヒマもなかった。
1時間で完売。
19時からteam bub.によるナイトバブルショー。
私は子どもたちが場内に入らないようガードマン。
機材裏が一番心配だったので陣取った。
20時から後片付け。体力の限界。21時半までの予定だったが30分早く帰らせてもらう。
八代市役所で高速無料措置の印を無事もらって帰る。
駐車場がわからなくなり無人の町内をへとへとになりながら歩く。
八代からホテルがある熊本市まで1時間半運転。明日のためにガソリン補給。
力を振り絞って入浴、着換え、化粧して
Threadsで教えてもらった美味しい居酒屋「侍」で
熊本グルメをいただく。SNSにアップ。
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8/24(月)早朝4時すぎ震度4の余震で目が覚める。
家を出る前、ペットシッター母に「あんた何かあったらどうするん」と心配され
「何かあったらその時が寿命だ」と返した。
レコードや機材の貰い手が決まっている私は飼い猫のこと以外この世に未練はないのだ。
ホテルチェックアウト。お土産を買う。買って支援。
酷暑のためチョコレートやクリーム入りのラングドシャ的なやつはNG。溶ける。
熊本の人の気持ちを共有したくて何の前情報も持たず朝イチで熊本城へ。
城に登る。「登る」という表現しか思いつかない。
熊本城は要塞だった。
難攻不落、鉄壁のディフェンスと圧倒的な機能美にノックアウトされる。
絶対に陥落させねえぞという命の炎がメラメラと永遠に滾っているようだ。
残念なことにあちこち崩れ落ちていた。今回の地震のものか。
10年前の地震で崩れた石垣はひとつひとつ調べて元通りにしたそうだ。
熊本城は熊本県民の誇りであり心の支えであることが
実際に行って、実際に見て、心底理解できた。
日本製紙の倒れた塔も八代市民にとってシンボルだったそうだ。
現実の生活も大変だが、精神的に心折れるのはすごく辛いことだと思う。
「岡山から8時間半かけてボランティアに来ました」このことだけでも
被災された方をほんのちょっとだけ励ますことができると幸いです。
お昼ご飯は桂花ラーメン(本店)美味しい。
何台ものトラックに煽られながら帰る。
大きい声では言えないがまあまあ速めに走っていたのに。
左車線に入るとついてくる。会社のトラックで煽るんじゃないよ。会社チェックしました。
とはいえ物流業界の総てに感謝、トラックの運転手さんに感謝です。
無事に帰るまでがボランティア。夜8時に岡山到着。
西日本豪雨(平島・真備)と台風19号(長野)
どちらも水害ボラだったので地震のボランティアは初めてだった。
熊本入りも初めてだ。修学旅行で阿蘇には行ったが記憶が薄い。(40年前)
たったの1馬力だったがほんの少しでもお役に立てただろうか。
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この次の投稿で
熊本グルメをアップします。
みんなが熊本に行きたいなと思えるように。
病気の人が「あれが食べたい」と思って元気になれるように。
#熊本 #災害ボランティア
#令和8年熊本地震












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